私もずっと何者かになりたかった。
メディアやSNSでみる充実した誰かと比較して、何もない自分に焦ったりする。
自分だけが何も成していないのではないかと思ってしまうこともある。
今でもそんなことを考えたりする。
今のままの自分ではダメな気がするが、じゃあどうなれば満足なのかは、自分自身でもよく分からない。
そんな人は多いのではないだろうか。
私は何者でもないと思っていた
自分には優れた能力もないし、何かを成し遂げたわけでもない。
どこにでもいる、ただの平凡な人間だ。
朝起きて仕事に行く。
理不尽な世の中を恨みつつ、一生懸命働く。
落ち込むことばかりだが、次の日もなんだかんだ頑張る。
そんな日だって、一生に一度しかない1日だ。
本当に私は何者でもないのか
私も含めて多くの人が、自分は何者でもないと思っている。
しかし、本当にそうだろうか?
満足できるような立派なものでは無いかもしれないが、実はすでに何者かになっているのではないだろうか?
というより、そもそも”何者でもない人”なんて、この世に存在しないはずだ。
様々な境遇の人がいるのは間違いないが、私たちは生まれた瞬間から、誰かとの関係の中で存在している。
完全に何者でもない人など存在しない。
全員が”何者”かではあるのだ。
特別ではない人生にも価値がある
しかし、言いたいのはそういうことではない、と思う人もいるかもしれない。
わかる。
普通に過ごしていれば、嫌でも日々新たな情報が大量に入ってくる。
メディアは目立つ話を取り上げるため、偉大なアスリートや革新的な技術者の話が目立ってしまう。
だが、現実の大部分はそんな華やかなものではなく、取るに足りない日々として過ぎ去っていく。
良い日や悪い日だけでなく、何の意味もないような冴えない日だってある。
私もそうだ。だがそれで良い。
他者から見れば何のドラマ性もないかもしれないが、それぞれが必死に生きる日々の積み重ねこそ価値があると思う。
泥臭い日々が素晴らしいと思う。
それに誇りを持って生きれば良いはずだ。
ノーベル賞を取ったり、メジャーリーグで本塁打王になることだけに価値がある訳ではない。
特別な才能なんてなくても、ありふれた自分自身の一歩一歩に価値がある。
私はそう思っている。
私たちは別に大谷翔平にならなくたって良いのだ。
よく考えて欲しい。大谷翔平だって私にはなれない。
何者でもあり、何者でもない
自分はずっと何者でもあるし、何者でもない。
誰かにとっては大切な存在であり、世界から見れば小さな一人でもある。
それは、この先もずっと変わらない。
それで良い。
いずれにしても、自分らしく進むしかない。
自分自身がベストを尽くす以上のことはできないのだから。


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