言った者勝ちはおかしい。声がデカいだけで意見が通る社会の危うさ

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現代社会は、声の大きいだけの意見に過剰に振り回されすぎている。

「言った者勝ち」がまかり通るのは、どう考えてもおかしい。

正当な主張は、声の大きさに関係なく採用されるべきだ。

いわゆるクレーマーやモンスターペアレントという人たちは、物事の本質を理解しておらず、短絡的な者たちだ。

今回はタイトルのように、私が普段から感じている違和感を言語化しようと思う。

言った者勝ち社会構造と声の大きさ

現代社会を端的に述べると、言った者勝ちの世界だ。

筋の通っていない主張であっても、声がデカければ通ってしまう。

ハッキリ言って異常だ。

だが、本質的に問題なのは、声が大きいだけの人間がいることではなく、そうした行動が、結果的に「得」になってしまう社会構造の方だろう。

匿名のSNSで袋叩き

SNSが発達したせいで、少しでも文句があれば気に入らない奴を過剰に叩く風潮がある。

他人の粗探しのプロが大量発生している。
正当な主張もあれば、イチャモンとしか思えない主張もある。

それは改善を促すものではなく、ただ溜飲を下げるためだけのものなので、生産性はまるで皆無だ。

誰も得をしない、負の世界だ。

過剰なコンプライアンス

現代は過剰なコンプライアンス意識に支配されている。

誰もがやりすぎだと思ってはいても、それを口に出すことはコンプライアンスの観点から憚られる。

もし指摘すると、今度はターゲットが自分に変わるかもしれない。
そんなリスクを負ってまで指摘するメリットなんてない場合がほとんどだ。

そのため、多くの場合は、自分の本音を隠して、適当に合わせておく方が、無難と判断するのは当然だ。

こうやって社会は自分たちで自分たちの首を絞め続けているのだ。

減り続ける公園の遊具

例えば、公園のルールについてだ。

最近の公園は安全上の理由で遊具が減ってきている。
もちろん重大な怪我が頻発するような状態であれば、当然放っておくべきではない。

だが、誰しも失敗から学んでいくものだ。
こうすれば転んで怪我をするかもしれないと学ぶことで、重大な怪我を避ける術を身につける。

子供だけでなく、大人だって一緒だ。

仕事でも私生活でも、一発アウトの致命的なミスを避けておけば、それは経験となり、やがて武器となる。

つまり、時には失敗も有意義であるにも関わらず、子供たちは小さな失敗をする機会を失っているということだ。
学びの機会を失い、結果的に重大な失敗をしてしまうリスクが高まっている。

これでは本末転倒だ。

だが、どこまでが許容される失敗なのかという基準は人それぞれである。

そのため、「その遊具は危ない」と言われてしまうと、それはそれで別に間違ってはいないため、その意見が採用されてしまう。

結果として遊具は減り続ける。

失敗から学ぶ機会の喪失

危険を管理するのではなく、危険そのものを消す方向に進んだ結果、何も学べない空間だけが残っていく。

それぐらいは許容範囲だろうと多くの人が思っていても、その許容範囲は明文化できない曖昧なものなので、より厳しい思想を持つ人の主張が通ってしまうのだ。

その人の声が大きければ尚更だ。

言ったもん勝ちが生まれる理由

だから今は言ったもん勝ちの世の中だ。

私はおかしいと思っている。

だが、ハイリスクローリターンでそれを指摘できる人は多くないだろう。
リスク回避や責任逃れでみんな楽な方へ流れていくのだ。

情けないが、私も人のことは言えない。
ここで文章をタラタラと書いているだけで、何か具体的に働きかけている訳では無いからだ。

クレーマーやモンスターペアレントには毅然な態度を

厄介なクレーマーやモンペ対応

声の大きな迷惑代表として、クレーマーやモンスターペアレントと呼ばれる人がいる。

典型的な迷惑代表だ。
先ほど述べた公園の遊具が危険という主張については、否定できない部分もあった。

だが、この種族は別物だ。

あきらかなイチャモンをつけている。
学校や施設は事を荒げたくないので、無碍な対応をしづらいのは想像できる。

あらぬ噂を流されたり、この学校にはそんなヤバい人がいるというのが広まれば、損しかないからだ。

また、そんなおかしな人に時間を割くほど、暇ではない。

そんな暇があれば、大多数の善良な人間に利益があるようなことに時間を費やしたいと思うのは当たり前である。

対応のポイント

個人的には、クレーマーやモンスターペアレントに対しては、毅然とした態度を取って欲しいと思う。

喚き散らされたとて、全てを真に受ける必要はないし、一線を越えた要求にまで応じる必要もない。

善良な人間はその対応をきちんと見ている。
結果的に味方が増えて、状況は改善されていくはずだ。

正しい判断をできる人間はちゃんと存在する。

まだ世の中捨てたものではないと思っている。
善良な人間が正しい判断をすることが、社会を少しずつ健全に変える唯一の道だ。

私の理想と願い

声がデカいだけの奴の主張が通る時代はもうやめよう。

善良な人間が損をするのは全く筋が通っていない。

未来を想像し、本質的に良いと思うことを採用しよう。

私には今すぐ何かを変えるような力は無いが、そんな平和な世の中になることを願っている。

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